ブログ~心のケアの現場から~

ユニオンのメンバーによるお仕事?ブログ。リレー形式でつらつらと。

2010年

4月

20日

子どもたちから世の中を見ると・・・?

甥っ子、姪っ子を見ていて思うこと。

 

そんなに贅沢なんかできなくても、そんなに特別扱いなんかされなくても、お父さんとお母さんの暖かい眼差しと、子どもたちにしっかり正面から向き合う、養育者のまっすぐな想いが伝われば、子どもってスクスク伸びやかに育っていけるものなんだなぁと感じます。

 

甥っ子姪っ子の眼差しには、大人への信頼感が、しっかり育っていることが分かります。

私の兄弟たちは言います。「子どもなんて勝手に育っていくものだから」と。“勝手に!?ちがうちがう、ポイントちゃんと押さえてるからだよ~”と内心思いつつ、「ふ~ん」なんて答えてますが、そう、私の兄弟たちは、無意識にごく自然に親業を成し遂げていっている。

 

親に愛情こめて育ててもらった人は、親になるのにハンディが少ないんだろうなって思います。自然にできちゃう。だから、自然にできない人の辛さが分からないという怖さもあります。

 

児童養護施設で生活する子どもたちの中には、反応性愛着障害といって、人見知りなんか全くなくって、だれかれ構わず愛想を振りまいて大人とすぐに仲良くなってしまう子どもたち、逆に全く関わることを拒絶する子どもたちがいます。

一見全く逆の行動をしているように見えますが、根底にある悲しみは同じです。「大人の愛情なんて信じられない、だから大人が作った世の中も信じられない、どうせ見捨てられるのなら何も信じない。」(ご存知の通り、児童養護施設に入所している子どもたちの7割前後が、家庭で養育者からの虐待を受けてきています。)

すっかり仲良くなれたと感じたのに、別れ際の彼女・彼らの眼差しは、ドキッとするほど冷めているんですよ。ああ・・と思います。どうやったら大人や世の中への信頼を回復してもらえるのかと。

 

疑いなく親や大人の愛情を信じられるって、当たり前のように思えますが、実はものすごいこと。

 

施設で生活している子どもたちは、パッと見、ごく普通に育っている子どもたちと見分けがつきません。でも、こころの深い深い部分で、とても傷ついているのです。そのまま大人になった方たちもそうです。

 

私たち臨床心理士が、彼らのためにできることはごく限られたことです。大人って信じるに足る存在なんだって思ってもらいたい。非力かもしれませんが、決してあきらめず、根を上げず、投げ出さず、できるところから1つ1つ積み重ねていきたいです。

 

行政にもそうあって欲しいと思います。

 

                  A

2009年

12月

21日

思いを言葉で伝える、ということ。

8月以来のブログ更新・・・

滞らせていてゴメンナサイ。

 

さて、先月、職場の先輩のお誘いに乗っかり、

映画の試写会へ行ってきました。

とある児童養護施設のドキュメンタリー映画で、

施設で生活する子どもの現状と、

虐待に関して当事者の子どもや親のインタビューなんかもありました。

 

色んな意味で気になる部分はいくつかあったけど、

いいなぁと思ったのは、園内の弁論大会。

 

中学生以上の子たち(だったかな?)が、自分や家族の事などをテーマに、

家族や関わる人たちの前でスピーチするというもの。

 

自分の内面と向き合う貴重な機会であるし、

原稿作成のために、職員さんと子どもの一対一の時間があって、

1人じゃなく大人と一緒に向き合い、繰り返し考えや思いを深める。

そしてその自分の思いを自分の言葉で伝える。

こういう事ってやっぱり大切だなぁと改めて実感。

 

言葉で表現する力や内省力が乏しくて、

すぐに手が出たり、不適応行動を繰り返す子どもは

私の職場にも多いけど、

 

日頃から職員さんが意識して、粘り強く、内省や言葉での表現を促す

やり取りをしてきた子ども(能力的な問題がある子も含めて)は、

その後、何かの問題にぶつかった時に

状況を冷静に見つめ、自分の考えや思いを言うことができたり、

こちらの予測よりも不適応行動が広がらなかったり、

何よりもその事を大人と扱える(話ができる)姿勢が備わったと感じる。

 

自分の内面に向き合い、それを言葉にし、

その思いを理解してくれる人がいると感じられること。

 

そこまでには相当な時間と、切れ目ない支援が必要で、

日常業務で忙しい中、大人側の忍耐力やチームワークも

試されるところだけど、

色々なものを抱えたこの子たちが生きていく中で、

そういった経験があるかないかではとても違いがあると思う。

 

私たち心理職もそういうことを援助する立場ではあるけれど、

生活を共にする大人と日々の中で積み重ねていく事が、

より彼らの心にしっかりと根付いていくんだろうと思う。

 

 

O

 

 

2009年

8月

26日

本当はゆるみたい。

今日、妹に入浴剤をもらった。エステの仕事をしている友達から「ストレス解消なら、お風呂に入れ」とアドバイスされたらしい。

 

性虐待を受けた子のグループ療法でも、虐待をした親のグループでも、治療プログラムにリラクセーションの時間をしっかり組み込んでいるのを、最近よく耳にする。私たちは『心理』の専門家で『心のケア』とよく言うけれど、決して目に見えないことだけを扱っているわけではない。肩の力が抜けて、眉間の皺が取れて、深く息をして、ゆったり安心して過ごせるということは、治療の大切な目標のひとつ。

 

でも、明日どうなるかわからなかったら、安心できない。数年後どうなるかわからなかったら、安心できない。生きててもいいことない、どうせ未来はろくなもんじゃないとしか思えなかったら、安心できないどころか、ぶっ壊したくなるだろう。大人、世の中、自分の人生、ありとあらゆる全てのものを。

 

私が会う子どもたちの中には、キレる子どもがとても多い。彼らには「怒ってもいいんだよ」と伝える。「怒る、ムカつく、腹が立つ・・・どれも大切な気持ち。なんで?どうして?変だ!おかしい!納得いかない!こんなのイヤだ!ってことが、あなたに起きてるかもしれない。それをあなたやまわりの人に教えてくれる、大切な気持ちだよ」と。

 

そうやって、怒りの感情を自覚して初めて、それをなだめたり、解決後を思い描いたりできる。でも、そのためには、本当に心から落ち着けて安心できる人と環境と、少なからず時間が要る。

 

子どもが暴れるのは『こんな人生引き受けられない!』という叫びである*。この言葉に出会った時、子どもたちを思い浮かべ、私はとても腑に落ちた。簡単に治るとか回復すると見込むのは、彼らが今まで生きてきた苛酷な人生に対して失礼な気がすることもある。

 

それでも、そんな悲観的な予測を遥かに上まわる成長や変化を遂げる子どもがたくさんいる。そのためには、「あなたに起きたことはあなたのせいではなかった。あなたは何も悪くない。責任はあなた以外にある」というメッセージが、有形無形に、毎日の生活の中で伝えられ、子どもが骨身に沁みて、それを信じられるようになる必要がある。そして、本来の責任者(多くは親)がそれを伝え、謝ることができると、子どものその後は格段に違ってくる。

 

 子どもたちには到底及ばないけれど、最近私はとても怒りっぽい。矛先を誤って自分や家族に向けてしまわぬよう、本来の相手に向けたいと思う。だから、本来の責任者である人達は、「知らない」「しかたない」「自分にはどうにもできない」と逃げずに、きちんと向き合って考えて欲しい。

 

S

 

* 芹沢俊介 1998 『子どもたちはなぜ暴力に走るのか』

 

2009年

8月

12日

叶いますように。

やっと夏らしい天気になり、子ども逹は日に日に黒くなっていきます。
 
ある日常でのエピソード。
子どもが私の御守りストラップを欲しがったため

「あなたの願い事も一緒に入れておくから願いをこめて返して」と伝えたところ
「願い事なんて叶わないよ?私の願い事は叶ったことがないし、無理だと思う」
と、それが当たり前でしょ?何言ってるの?と言わんばかりの顔で

されました。呆気にとられた後、そんなことはない、

ずっとずっと願えば叶うかもしれないよ。と真剣に伝えると、

その子どもはひたいに御守りを押し付け、目を閉じ、

真剣に、何度も、願いをこめてから返してくれました。
 
10
歳そこそこで、願い事なんて叶わない事が当たり前だと諦めざるを

得ない現実、それでも祈らずにはいられない切実さ。
 
子どもが希望を持てない社会は、大人がつくっています。

将来この子ども逹が大人になったら、どうなるのか…。


大人が希望を持ち、それを伝えることが必要です。

また子どもをケアする責任が大人にはあります。
 
そのために大切なのは、大人自身も希望を持てる環境にあることだと思います。

では、どのような環境なら希望が持てるのか?

時々それさえわからなくなります。

 


 

この時、子どものあまりの真剣さに圧倒されて、私は願い事の内容が

聞けませんでした。願いのもつ意味、願いの深さ、ともに子どもと比べて

あまりにも些細なもののように思え、

私の願いが試験合格だとも、言えませんでした。

 

子どもの願いが叶いますように!

 

R

 

 

2009年

7月

21日

もう諦めて受け入れるしかない?

「それって、週何日の仕事?」

 

大学院の修了を前に就活をしている時、

仕事に就いてから大学院時代の仲間と近況報告をする時、

当たり前のように出てくるセリフです。

私は大学院を1年前の春に修了したばかりの若輩者ですが、

同期で“常勤”の仕事に就いている人は知っている限り1人もいません。

 

週5日は働きたいと思えば、

「週4日+週1日」「週3日+週2日」「週3日+週1日+週1日」など、

複数の仕事を組み合わせるしかありません。そうすれば、当然のこと、

「平日は仕事、土日祝日は休み」にはならないこともしばしば。

それ以前に、週5日分の仕事を見つけることも難しくなっています。

 

ようやく仕事が見つかっても、職場での役割が明確でなかったり、

専門職のはずなのに受付・事務作業が中心だったりということもあります。

 

待遇面も、昇給やボーナスがある仕事はまれです。

 

大学院を修了して初めて就いた仕事を1年で辞めたという人も、多くいます。

 

「心理の先生ってすぐ変わるもんね」

 

私は児童養護施設で働いていますが、

ある子どもがポロッとつぶやいたセリフです。

実際、この2年あまりで私が3人目の心理職員です。

 

児童寮で子どもの日常生活の支援を行っている直接処遇職員と呼ばれる職員は、

子どもにとっては親代わりの存在ですが、

その職員も何年かで入れ替わっていきます。

それが当たり前だし、そのことをもう諦めて受け入れるしかないんだ。

心理の先生だって同じだ。

そんな思いが、伝わってくる一言でした。

 

さまざまな職場を経験していくことで、

自分の臨床心理士としてのスキルを上げていく。

それが、よりよいサービスを提供することにつながる。

こういう考え方もあるでしょうし、

必ずしも“常勤”という雇用形態や一つの職場で長く働き続けるということが、

絶対によいということではないと思います。

 

けれども、現状は、それ以前の問題です。

不安定で、安心できない雇用がとても多いのです。

 

どんな仕事でも、1年で担い手が変わってしまっては、

できることはおのずと限られるでしょう。

心理の仕事は、他のいろいろな仕事と違って特別だとは思いません。

ただ、人を相手にする、こころに寄り添う、

じっくり向き合えるだけの安心が必要なのです。

 

 

Y

2009年

7月

09日

施設での仕事の中で思うこと

私は、児童養護施設で働いております。

養護施設と聞いて、皆さんがイメージすることって何でしょうか。

ざっぱくに言ってしまえば様々な背景の子どもたちが暮らしている場所です。

共通しているのは、親や保護者など特定の大人の庇護のもとでは

暮らしてはいないということ。施設職員は日々支援に尽力していますが。

 

一番守ってほしい存在の近親者から傷つけられて

やってくる子も少なくはありません。

 

 "子どもはたくましい"と心底思うのですが、それでも、

傷ついた心をもてあまし、わる人間に、

言葉や行動でぶつけてくることがあります。全力で。

そして、それは関わる人間を反射板にして投げた子どもに戻っていきます。

 

私は、関わる人間の一人ということになりますが、受けたもの

ただそのまま返っていくのではなく、私という一人の人間のフィルターを

通って行きます。

時にこちらが折れてしまいそうなくらいの強い投球であることも。

“ああそうか。自分も子どもの頃大人がどう返してくるか

確認していたかもなぁ”と思いながら、

それとは比較にならないエネルギー量を感じて、

子どもにとっては“大人”にカテゴライズされる自分は

どう映っているのだろうかと、ふと考えることもあります。

 

“受け入れられる”“守られる”という事がどれだけ子どもに

必要なことなのかは、私が日常接する彼ら・彼女らに限らず、

私たち自身の人生を振り返れば痛感することなのではないでしょうか。

 

三つ子の魂百まで、という言葉がありますが、大人よりも行動範囲も

出会う人も限りのある子ども(異なる場合もあるでしょうが)にとっては、

その時生きている世界が全て、という感覚を持ちやすいのではと思います。

 

虐待の報道もまれではない昨今、

社会全体で子どもたちを守る力が必要です。

 

個人的に、子どもには出会っていく人や経験を通して、

いろんな方向へと根を伸ばし、葉を広げ、実をつけていってほしいと

切に願う日々です。

大人は、その為の水や肥料の役割を求められているのでしょうね。

そんな大人にも勿論水や肥料は必要ではありますが。

 

-H-

 

2009年

6月

28日

逃げてはいけない

 臨床心理士ユニオンに対して一部blogで
「給与待遇に不満があれば辞めればいい」
「そういう職場を選んだ自己責任だ」と
 いう無責任な評論があると仄聞している。
 しかし,それは本末転倒な「言いがかり」である。

 

 大変なケースに直面しているからこそ,そこで戦う必要がある。
 臨床心理士という仕事は,場合によっては逃げてはいけない仕事なのである。
 なぜなら、クライアントの多くは、さまざまな意味で社会的弱者なのだ。
 特に被虐待者などのケースでは一貫して安定した姿勢が重要である。
 つまり現場から背を向けてはいけない職種なのである。
 諸条件が酷いからということで背を向けないで留まり、
 その場所で安定した仕事が出来るよう、
 様々な働きかけをしていくことが重要だと考えている。

 

 さらに,そういった責任感を持っているからこそ
  専門職として評価をされていくものではないだろうか。
 臨床心理士ユニオンは、少なくとも雇用面での一定の安定を
 各領域の臨床心理士が保つことを可能にして、
 「逃げることは出来ない」「しかしこの待遇では生活が成立しない」
 というジレンマを改善していくツールなのである。

 

 また,臨床心理士自身が置かれている不安定な雇用や、
 被雇用者としての権利も守られていない業務委託など問題からも、

 目を背けてはいけない。
 そういった待遇等の矛盾からも逃げてはいけないのだ。
 孤高のポーズを捨て、普通に世の中で生きる人間として俗事にまみれ、
 自分たちで自分たちの食い扶持の確保をしていくことからも逃げてはいけないと思う。

 そのためには現状を見て現実的に改善できることを
 ユニオンという組織力によって行っていくことが大切であると考えている。

 さらに多くの臨床心理士が当ユニオンに加入されることを、

 組合員として心から願っている。

(T)

2009年

6月

22日

教育環境の充実を!

先日、私の働く児童養護施設(以下学園)と、

子供たちが通う中学校で情報交換&対策会が行われました。

学園の子供たちに限ったことではないですが、不登校、子供同士のトラブル、

先生への暴言、教室を飛び出すなどの行動・・・先生たちも困っている様子でした。

 

子どもたちがこうした行動をしてしまう理由はそれぞれですが、

“勉強についていけない”ことが、とても大きいように思います。

その背景には、食事も睡眠も十分ではなかった環境で育ったことや、

養育者からの種々の暴力にさらされてきたことよる発達の遅れや偏り、

対人関係を築くことの難しさ、これらから安心感を持てず過覚醒や集中困難が

引き起こされることなど、様々な要因が絡み合っています。

 

学園でも小学生のうちから学習ボランテイアや個別対応塾の利用、

勉強時間の設定などの対策を講じていますが、

成果が出るのはもう少し先になりそうです。

勉強が苦手な子どもにとっては、1日5時間も6時間も理解できない授業を

聞くことになっていますが、その時間を、その子供に合わせたレベル、

時間設定で、少人数で学べたら、子どもたちのストレスもぐんと減り、

勉強が楽しい、と思えるようになるかもしれない。

そんな理想を目指して中学校も特別支援の先生や、

カウンセラーさんも導入して精一杯対応してくださっていますが、

もはや限界に来ています。

人的資源も、金銭的資源も、圧倒的に足りないのです。

このような支援は、学園の子供たちだけではなく家庭のお子さんも、

また、中学に限らず、小学校でも必要かと思います。

 

声を大にして言いたい。子どもたちに、もっとお金を使おうよ!!と。

子どもはこれからの日本を担う大切な存在です。

大切なことをおろそかにしない、みんなが生きやすい環境を、

当事者たちも行政も生活者みんなで作っていきたい。そう思うのです。

 

D

 

 

2009年

5月

12日

不況と「うつ」の関係

先日、ある新聞の記事に、

「100年に1度といわれる不況下で、

うつ病を患うサラリーマンが増えている」

という内容があった。

職業柄か、このような記事を読むと、うつ病のサラリーマン家庭の

子どもの状態はどうなのだろうか?というようなことを考える。

子どもは敏感だ。親の抱える労働環境やそれがもたらすストレスは、

程度の差はあれども、何らかの形で子どもに影響を及ぼす。

増え続ける仕事量に、反比例するかのような収入。

日々内外から入る情報は「リストラ」「倒産」など暗いものばかり。

明るい市場などどこにもないのに、会社からは

もっと売上を伸ばせ、努力が足りない、などと叱咤される日々。

そんな状況で、

子どもを十分にかまってやれないほどの疲労感を、慢性的に抱え、

時には八つ当たりという形にもなり、

最悪の場合、虐待にも発展し・・・というように、

経済と子どもは、一般に認識されている以上に密接な関係にある。

 

経営側も、労働側も、そのことをきちんと認識しなければ、

この国に未来はない。

これは、

未来そのものである子どもたちと、日々向き合う者としての確信だ。

 

 (K)